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《倫理論つづき、當代の合理論者。》〔一九〕上に述ぶる如く道德上の善惡は意志の自由に認諾することに在るを以てアベラルドスは人間が祖先より傅へて生まれながらに感染せる罪は寧ろ過失(vitium)と謂ふべき者、嚴密なる意味に於いて罪惡(peccatum)と謂ふべき者にあらずとして其の間に區別を立てたり。又彼れは意志の自由に重きを置く所よりして吾人が罪惡なくして生涯を送ることも必ずしも全く爲し得まじき事にあらずと考へたり。彼れは尙ほ罪惡の赦しは懺悔の心によりて來たるとも云へり。

かくの如き所說を以て知らるゝ如くアベラルドスは當代の合理論者なりき。彼れは又大に希臘人を嘆美して希臘の哲學者は基督敎以前の基督にしてソークラテース、プラトーン等は神の啓示を得たる者なり、何となれば神の子は智惠にして智惠の在る所何處にも神の子の聲を聞けばなりといへり。かくの如くアベラルドスの所說は當時の一般の思想を超越したる點ありしを以て彼れは敎會に忠ならむとする者の攻擊を受けたり。

《神秘家フーゴーの宗敎論、信仰の實驗と眞理。》〔二〇〕アベラルドスに至りて當時の辯證法は其の頂上に達したると共に精密に考ふれば彼れに於いては敎會の宗義と全く符合せりといふ可らざる思想の