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《其の倫理論。》〔一八〕第一期に於ける實在論と唯名論との爭ひはアベラルドスに於いて一段落を成せりと云ひて可なり。故に或哲學史家は彼れを以てアリストテレース風の實在論を基礎とする中世紀哲學第二期の思想に移る橋梁と見做せり。

且つまた彼れに於いては當時の思想界に於ける一般の平準を超越せる點を發見することを得べし。彼れは時勢に先きんじて倫理學を一科學として(即ち宗敎的形而上學の假定に結び付けざるものとして)硏究し初めむとしたる所あり。彼れ說いて曰はく、道德上の善惡は外に表はるゝ動作に在らずして意志が自由に認諾することに在り故に外部の發表なくとも若し意志の認諾にして存せば道德上善惡の差別は已に成り立ち居れりと。而してアベラルドスはまた重きを主觀的方面におきて德行の唯一なる根本的標準は各人自らの良心に從ふことにありと考へたり。彼れの見る所に從へば所謂良心は萬人に通ずる自然の道德の法則に外ならず而して其の法則の內容は何なるぞと云へば神を愛すと云ふことにつづまる。宗敎上の窮極事件も亦此の自然の道德の法則以外に出づるものに非ず、基督敎は此の道德法の純粹の意味を明らかにしたるものに外ならず。