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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/453

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到達せざるべからず。故に眞實存在するものは畢竟ずるに神のみにして個々なる萬物は唯だ神の發現せるもの若しは其の狀態に外ならずといふ萬有神敎風の說に至らざるべからず。而して件の萬有神敎的傾向は新プラトーン學派の影響を現はせるエリゲーナに於いて明らかに認められ又アンセルムスに於いてすらも暗々裏に認めらるべし。然れども當時に在りては件の萬有神敎的結論は未だ明瞭に又十分に言ひ表はされざりき。盖し敎會の敎義たる有神論が萬有神敎と相容れざる所あればあり。

《アベラルドスの通性論。》〔一七〕上に述べしが如く實在論の種々に言ひ更へらるゝに從ひて多少唯名論に近づく所ありしが恰も此等兩說の中間に立ちて其の對峙を融解せむと試みたる學者の最も肝要なるを


アベラルドス(Abaelardus

(千七十九年に生まれ千百四十二年に歿す)とす。彼れはロッセリーヌス及びシャムポー人ギヨームに就きて學べることあり、恐らく中世紀に於いて最も銳敏明鬯なる