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形に言ひ表はされたり。其の一は無差別論とも名づけ得べし。其の論に曰はく、實在する通性は個々物に於ける無差別の邊即ち個性の差別によりて變ぜざるものなりと。此の論は個物を離れて通性を見ずして個物に於ける通性を說く論なり(アリストテレース風の通性論に近寄れりと見て可なり)。此の無差別論の外又或は通性が相異なれる個性の形を取ると云ひ或はそれが相異なれる狀態に存すと云ふ如き解說あり。此の如き言ひ表はし方に從へば通性を實在と見るよりも寧ろ個物の本體或は基本或はアリストテレースの所謂未だ定形を成さざる可能性の如きものと見るに近づけるなり。
實在論はかく種々なる形に言ひ表はされたりしが爰に注意すべきは實在論に具有する萬有神敎的傾向なり。若し通性を實在なりとして個性を之れに對せしむるときは畢竟個性に屬すべき森羅萬象は唯だ實體の外相たるに止まりて其の眞實の本體は通性ならざるべからず。通性をプラトーンのイデアの如く見るも究竟すれば下なるイデアは上なるイデアに對して實在の少なきものなりと云はざるべからざれば遂に眞の實在者は最高遍通のもの即ち神に外ならずと云ふ論に