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時に(essentialiter, totaliter, et simul)存在するものなり。個物に於ける差別は唯だ偶然のもの、實存せざる外相たるに止まりて實體は通性の外にあらずと。
アンセルムスが神學の根柢に橫はれる實在論は當時敎會の本旨に適ふ者とせられて唯名論を壓倒せり。一時起こりたりし唯名論は直ちに抑壓せられて其の跡を收めぬ。此の故に中世紀哲學第一期の思想の哲學的根據はプラトーン風の實在論なりと謂ふを得べし。然れどもギヨームの唱へ出でたる如き極端なる實在論に對しては種々の困難あるを免れざる故を以て當時主張されたる實在論は此くの如き極端なるもの而已にはあらずして寧ろ多少其の形を變へたるもの多きに居れり。
上に述べたるギヨームが極端なる實在論に對しては種々の難點を揭ぐるを得べし。例へば其の一には若し通性のみが眞實存在するものにして差別ある個性はただ偶存のものならば同一實在に相容れざる偶性を有せしめざるべからざることあり、譬へば同一體の人間を或は賢或は愚なりと云はざる可からざるべし。故に實在論は其の極端なるものに存する困難を避けむがために種々の異なりたる