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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/450

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し三神にあらずんば父は子と共に基督に於いて人間とならざるを得ず換言すれば子のみが化身して父は化身せずといふこと能はず、故に若し父と子とを一體なりとせば父自らが人間と自らとの媒介を爲すこととならざる可からずと。是れ彼れが唯名論に基づきたる個物的觀念よりせる結論なり。而して斯くの如き思想が中世紀哲學を如何なる運命に導かむとするかは尙ほ後に至りて明らかになるべし。實在論の根據に立てるアンセルムスの思想は固より斯くの如き思想に反對せざるべからず。アンセルムスは未だ明らかに唯名論に對して實在論を主張せざりきと雖も彼れが思想に實在論的根據あることは嚮に論述したる所によりて明瞭なるべし。

《極端なる實在論、其の他の實在論、萬有神敎的傾向。》〔一六〕かくの如く明らかに言ひ現はされたる唯名論に對して極端なる實在論を主張したるをシャムポー人ギヨーム(紀元一千七十年に生まれ一千百二十一年に歿す彼れは辯證法に於いてロッセリーヌスに聽く所ありき)とす。彼れ主張すらく、實體を有するものは唯だ通性のもののみ、個性の差別は偶存のもの(accidens)なり。通性は個々物をして存在せしむる眞實の存在者にして其は實體として全く同一