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の論爭はアンセルムスの時に於いて已に其の頭を擡げたり。但し是れより先きアリストテレースの論理書の或部分に存在する語及び後の註釋者がそを釋せし語よりして通性論に關する問題は漸次に學者の注意を惹かむとしつゝありしが此の時に至りては旣に二つの正反對なる學說の明らかに分立して互に鬪はむとせるを見る。是れ即ち中世哲學史を貫通する實在論と唯名論との爭ひなり。一派の論者は曰はく、通性(universalia)は實在するもの(realia)なりと、故に彼等を稱して實在論者といふ。他者は曰はく、通性は唯だ名目(nomina)に過ぎず聲として發する氣息(flatus vocis)に過ぎずと、故に彼等を名づけて唯名論者(又は名目論者)といふ。

《ロッセリーヌスの唯名論、神性論。》〔一五〕始めて明らかに唯名論を唱へ出でたる者として有名なるはロッセリーヌス(Roscellinus. 第十一世紀に生まれ千百二十一年には尙ほ生存せり)なり。彼れ以爲へらく、實に存在するものは分かつ可からざる個物あるのみ通性てふものは唯だ個物を總稱する名目に外ならずと。此の唯名論がスコラ哲學の敎說にただならぬ關係を有することは已にロッセリーヌスの神性論に於いても見ることを得べし。彼れは三位一體論は正當には三神論と解すべきものなりとして謂へらく、若