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染まざる義者にてありながら世に在りて十字架上の苦痛を受けたればなり。此の義なる基督の苦痛は不義の樂みを求めて犯したる人の罪惡を贖ふ功德を有す。基督は神人の一致せるもの、彼れに於いて人性の全く墮落し了したるものにあらで尙ほ善く神性と一致和合し得ることの證せられたるなり。信仰によりて彼れの功德に與り彼れを受け容れて生まれ更はる者は皆無垢なる新らしき神の子となるを得べし。

《實在論と唯名論との對峙。》〔一四〕敎會の敎理を組織し又之れに附するに哲學上の論證を以てせむとしたるスコラ哲學の正當なる組織はアンセルムスに於いて其の模範を得たりといふを得べし。敎父時代に於いて決定せられたる神性論、基督論及び人性論を中心となせる敎義を一大組織に建立し上げむとしたるもの是れ即ちアンセルムスの神學なり。而して彼れが多くの點に於いてアウグスティーヌスの所說を襲ひたること、また哲學上より云へば通性を實有と視る實在論の思想が其の骨髓を成せることは認むるに難からざるなり。

通性のもの果たして實在なるか、また如何なる意味にて通性に實在を附すべきか