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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/445

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出だされ唯だ彼れに依りて存在す故に獨立自存のものとしては萬物は無なり(無より造り出だされたりと云ふは此の意なり)。凡べての物の實有の體は神より得たるものにして彼れの圓滿なる相の發現に外ならず、天地萬物は神の光榮を顯はさむが爲めに造られたりとは此の謂ひなり。造られたるものの中最高なるは自由意志を具へたる知あるもの即ち謂はゆる天使なり。

《罪惡論、救濟論。》〔一二〕然るに彼等天使は意志の自由を誤用して罪を犯したり。罪惡は意志の向かふべき方向を誤りたるものに外ならず、須らく唯だ神の光榮を顯彰すべき者が恣に自我の慾望を充たさむとするに生ずるもの是れ即ち罪惡なり。眞實は神の光榮を顯はすものとしてのみ實在しながら己れ神を離れて獨立自存するかの如くに自家を思ひ做し來たる所是れ即ち罪惡の根原なり。此の故に罪惡は意志が非有に向かひたる者なりと謂ふも可なり、盖し眞實には存せざる者(即ち神より離れたる者としての我が獨立の光榮)を得まくして之れに向かひ非有を求むる者なれば也。されば此等の罪惡に陷れる天使は墮落してこゝに造化に發現する神の光榮に缺損を生じたりと云ふべく而して神の發現の圓滿ならむには、換言す