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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/444

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あるものは皆彼れによりて存在す、彼れを離れて一物もあるなし。更に委しく云へば神は三一神なり、父と子と聖靈との三つが一の神を成すなり。子は父の言にして父なる神は子に於いて自らを言ひ表はす、猶ほ技術家が自らの製作に於いて自らを知り自らを現はすが如し。子なる神に於いて天地萬物(即ち神の圓滿なる相の發現)の模範的觀念(イデア)あり。父は子によりて天地萬物を造れり、語を換ふれば子によりて天地萬物に現はる。父と子とは現はるゝものと現はれたる者との關係を有す、兩者相離れたるに非ず而して其の相互の交通是れ即ち聖靈なり。此等三つのペルソナが一體の神を成すといふは怪しむべきことにあらず。恰も神の象に似せて造られたる人間に於いて想念(memoria)と知力(intellegentia)と愛欲(amor)との差別はありながら尙ほ各〻が他を含みて離れざる一體を成し居れるが如し。

《觀念模型と萬物の創造。》〔一一〕天地萬物はもと神の意中にある觀念の表出されたるもの也。神に於ける觀念は模型にして萬物は此の模型に象どりて造られたるもの、而して神の意中に於ける模型はそれに象どりたる世界に優りて善美なり。吾人の萬物を知識するは萬物を我が心に於いて象どる也。萬物は神の創造力によりて無より造り