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をば存在せざるものとは考ふべからず。實有は唯だ實有として考へらるべし非有としては考ふべからず(エレア學派の思想に聯絡を引ける所あるを見よ)。語を換へて云へば凡そ或事物をしかじかなりと云ふ時には其の事物がしかじかなりと云はるゝ事に與り居る所なかるべからず、其の事に與り其の事を分有するによりて始めてしかあると云はるゝなり。看るべし一事物をしかじかなりといふ時には其が與る事物の實在することを含み居らざる可からざるを。斯くして推究し行けば遂に凡べての事物が與りて其の存在を得る最高のもの即ち凡べてがそれによりて存在の相を得る所以の絕對者即ち實有其のもの(essentia)のあるを知るべし(プラトーンのイデア論に現はれたる思想がいかに此の論の根據をなせるかを看よ)。一言にして云へば、事物若し存在せば其が依りて存在する絕對のもの、遍通のもの、完全なるもの、即ち諸物の實體となるもの無かる可らずといふ、是れアンセルムスが論證の根柢に橫はれる實在論的思想なり。

《神の性質、三一神の關係。》〔一〇〕斯くしてアンセルムスは神の存在を論證し而して以爲へらく、神の性質は其の謂はゆる完全なる者と云ふよりしておのづから解せらる。凡べて世に