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に上るに隨ひて實有愈〻增加すといふ思想是れ即ち實在論の根本義なり。アンセルムスの說く所は冥々裡に此の思想を根據として立てりと見て始めて善くそを了解するを得べし。

かゝる思想に基づきてアンセルムスは先づ神の存在を論證せむと企てたり。以爲へらく、神は絕對に完全なるものにして之れに優りて全きものは考ふべからず、(quo majus cogitari non potest)斯かる者を名づけて神といふと。此の神てふ觀念は宗敎思想の樞軸を成すものなり。而してアンセルムスが此の神の存在を證する論に曰はく、神といふ觀念其のものに於いて已に彼れの存在することは含まれてあり、如何となれば吾人の心にのみあるもの即ち吾人の思ひ浮かぶることに於いてのみ存在するもの(esse in solo intellectu)よりも吾人の思ひに存在すると共に實物として存在するもの(esse in intellectu et in re)のかた更に多く實有なるものなり。故に神にして若し唯だ吾人の心にのみ存在する者ならむには彼れよりも更に優りたる實在を考ふることを得べし。然るに彼れは之れに優りて世に實有なるものの考ふべからざるものの謂ひなり。故に神を以て唯だ吾人の思ひにのみ存在するも