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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/441

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のとなすこと能はず即ち神は絕對に實有なる、完全なる者として實在すべきものなりと。是れ謂はゆるアンセルムスの實體論上の(神の存在の)論證として有名なるものなり。

《此の論證に對する攻擊、論點の眞意義。》〔九〕此のアンセルムスの論證に就きては早く已に疑訝を挾める者ありき。ガウニーロー(Gaunilo)の駁擊の如きは即ち是れなり。ガウニーロー以爲へらく、若しアンセルムスの論の如くならむにはアトランタ島(古人の想像して幸福なる島として云ひ傳へたるもの)の存在も亦同一の論法(即ち完全てふ形容詞を加ふること)によりて證據せらるべし、何とならば唯だ想像上にのみ存在して實に存在せざる島よりも更に完全なる即ち實在する島の考へらるゝが故に完全なるアトランタ島は實に存在す然らずんば完全ならずと論じ得べければなりと。

然れどもアンセルムスの論旨は此のガウニーローの駁擊に云へるものと全くは同じからず。盖しこゝの論點は絕對に完全なる實有なる者といふ觀念とアトランタ島といふが如き觀念とはひとなみに取扱ふべき者なるか否かと云ふことに在り。アンセルムスの論旨を酌みて考ふるにアトランタ島といふが如き觀念は必ずし