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は人々直接に己が意識に實證する所を基礎として考へたり、即ち彼れが哲學思想には專ら此の吾人各自の意識に驗する實證を基とせる而して其の敎會を中心として考へたるとはおのづから其の趣を異にせる點あり。彼れは一切の證據の窮極を吾人の意識に求め而して意識に於いて「我」の存在の確實なることを知りまた之れより考へて神の存在することを知ると論ぜり。是れ即ち近世哲學の初めに於いてデカルトの說ける所を豫想せるものなり。此の吾人の意識證明を根據として出立する思想は哲學の歷史に於いては新傾向を含めるものと云はざるべからず。

《暗黑時代に於ける羅馬敎會の事業。》〔一五〕基督敎理の組織はアウグスティーヌスに於いて一段落を吿げたりと謂ふべし。而して其の敎理を取りて更に之れを哲學的に組織せむとしたるもの是れ所謂スコラ哲學なり。然れどもアウグスティーヌス以後スコラ哲學の起これる迄には大凡そ四百年の間隙あり。是れ歐洲歷史に謂はゆる暗黑時代にして北方の蠻人が羅馬帝國を蹂躪したる後久しき歲月の間文物其の影を隱したりし時なり。此の文物其の影を隱したりし暗黑時代に於いて野蠻人を敎化し且つ希臘羅馬の古代文明の遺物を保存したるものは當時の敎會なり。北方の蠻人は當時未