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まれ幼にして敬神の念厚き賢母モニカに養育せられしが靑年の頃に及びて種々の迷路に入り當時行はれし諸種の宗旨及び哲學によりて安心立命の地を得むとしマニカイ宗を奉じ後新アカデミーの懷疑說を懷き次いで新プラトーン學派の說を取り、かくして幾多の思想を經過して遂に再び基督敎の信仰に落ち著きたり。彼れは著作家としてもまた思想家としても一世に卓絕し其の所說には新時代の思想の種子となるべきものを包合せり。四百三十年に歿せり。

《アウグスティーヌスの原罪論、救濟論、羅馬敎會の確立。》〔一三〕アウグスティーヌス以爲へらく、人間は救濟を要する者なりそは罪惡に陷れゝばなり、然れども人間は罪惡に染み之れに纒縛せられて意志の自由を失ひ今は罪惡を犯さざるを得ざる狀態に陷れる者なるを以て自ら救ふことを得ず。さりながら罪惡が眞に罪惡として罰せられむには自由なる意志によりて生じたるものならざる可からず。さらば何處に自由意志は存するか。曰はく意志の自由は原人にあり、人類の祖なるアダムが意志の自由を以て罪惡を犯せるにより彼れが子孫たる人類は悉皆罪惡を犯すべき性を享くることとなれり(是れ謂はゆる原罪論なり)。然れども神は正義なると共に慈悲あるものなるが故に其の慈悲心