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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/420

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論は生來吾人は罪に染める者なれば自ら己れを救ふ力なく唯だ神の慈悲を以て救はるといふことによりて決定せられたり。初めなる二問題は基督敎會中、主として東方即ち希臘敎會に於いて論ぜられ、第三なる人性論は專ら拉甸敎會に於いて定められたり。かくして基督敎會の敎理の定まれるのみならず敎會其の物が信仰の對境となりて後遂に羅馬加特力敎會の大組織を成すに至れり。

《アタナシオス、三位一體論、神人論。》〔一一〕第一問題はニカイア會議に於いてアタナシオスが唱へたる父なる神と子なる神とは其の性相同じからざれど相等し(即ち差別はありながら尙ほ其の神なることに於いては些も差等なし)といふ論に決定し、尙ほ後にコンスタンティノープルの會議に於いて聖靈をも之れに加へて遂に三位一體說を形づくれり。第二問題はエフェソスの會議及びコンスタンティノープルの會議に於いて基督は純然たる神にしてまた全き人なりといふ神人論に決したり。第三問題を取りて之れが解釋を試みたるは敎父時代の最後の大思想家なるアウグスティーヌスなり、彼れは哲學史上また優に吾人の注意を惹く値ひあるものなり。

《アウグスティーヌスの生涯。》〔一二〕アウグスティーヌスは紀元三百五十四年ヌミディアのタガステに生