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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/42

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の性質を定めむとはせざれども哲學史を講ずるにはまづほぼ哲學といふものの槪念を有せざるべからず、然らざれば應に哲學史中に如何なる事柄を攝入すべきかを定むる能はざれば也。而して哲學史を講ずるに方たりては哲學の槪念は右の如く解するを以て最も穩當なりと信ず。右の槪念もて果たして能く哲學史中に通常入るべきものとせらるゝ都べての事柄を蔽ひつくし得べきかは予輩の講述を進めゆくに從ひておのづから明らかになるべし。

《哲學史は人類文明史の一部。》〔四〕上に哲學の問題がその時代によりて異なりて其の範圍の或は廣く或は狹くなることありと云へりしが、かくいふは哲學が社會全體の變遷と關係する所ありといふと同じ。哲學は一時代一社會の文化、即ち當時代人心の全般の傾向、希望、信仰と決して全く離るべきものにあらず、故に廣義にて哲學史を人類文明史の一部と見るも不可なし。然れば哲學は吾人の生活全體の他部分と疎からざる關係を有するもの、換言すれば吾人の生活全體が特に智識的要求を中心として發表したるものなりといふべし。

斯く哲學が一時代一社會の全體の狀態を反映し又これに關係を有すといふもの