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端と正說とを分かちて基督敎會の正統なる敎義を定むるに至れるなり。件の敎理組織の事業に與りて力ある人々を敎父(patres ecclesiae)と名づく。敎父時代は敎會の歷史に於いて二期に分かる。前期はニカイア會議(西紀元三百二十五年)に至るまでにて之れをニカイア會議以前の時代と名づく。此の時代に於いては基督敎會內に種々の傾向現はれ(敎義組織の根據は略〻此の時に成れりしかども)異端と正說との區劃は未だ確立せられざりき。ニカイア會議以後幾多の會議に於いて當時起こり來たりし敎理上の問題を提出して遂に異端と正說とを決定するに至れり。ニカイア會議以後の時代は略〻西紀後五世紀頃に至るものと見て可なるべし。但し哲學思想の上より見る時は敎理組織の要旨は已にニカイア會議以前の時代に於いて定まれりと云ふことを得。


ニ力イア會議以前の時代

《ニ力イア會議以前に於ける敎理上三種の傾向。》〔四〕ニカイア會議以前に於ける基督敎會に發したる敎理上の傾向を分かちて三種となすことを得。一はグノスティック、一は護法家、一はアレクサンドリアの敎