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校、是れなり。グノスティック派の唱へし所は基督敎の思想と東邦異敎の思想と又希臘哲學風の思想との奇怪なる混和なり。而して其の中にも相異なる傾向ありて或は猶太思想に傾けるあり、バシライデース(百三十年頃の人)力ルポクラテース(略〻同時代の人)ヷレンティノス(百六十年頃に死す)の如きは猶太的傾向の主なるもの、此等をアレクサンドリアのグノスティック宗徒といふ。或はシリア等東邦の異敎に傾きたるものあり、サトルニオス(ハドリアン帝時代の人)の如き是れなり。其の他にも異なる流派あれども先づ右等を最も主要なるものとなす。
《グノスティック宗徒の主要思想。》〔五〕グノスティック宗徒にはかくの如く種々の流派あれど凡そ彼等に通じたる主要なる思想は宗敎上の信仰(πίστις)をば唯だ信仰に止めずして更に進めて宗敎上の智識(γνῶσις)となさむとするに在り。是れまさしく宗敎上の信仰に智識的根據を與へて敎理を組織せむとするの要求に出でたるもの、一言にして云へば宗敎に哲學的根據を與へむとしたるものに外ならず。しかれどもこゝに謂ふ智識即ちグノージスは通常謂ふ智識に優りて神祕的に眞理を直觀するものなり。此のグノージスを說ける所よりグノスティックといふ名稱は起これり。彼等は世界