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《哲學硏究の起源。》〔二〕その問題とする所かくの如くなる哲學の硏究は如何にして起こりしか。吾人は自然界及び人間界の現象に對してその如何なるものなるかを驚き異しむのこゝろあり而して此のこゝろが哲學硏究の源をなせりとは古來學者のしばしば唱へたる所なり。凡そ純乎たる究理心に基づける眞理の探求は此の驚異の情に發す。吾人が究理の心を以て天地萬物に對するや種々の間題を念ひ浮かべ而して之れを念ひ浮かぶるや如何にかして其の解釋を得むと力む。しかも其の解釋を全からしめむとするに從うて吾が思想の漠然たること、其の相互の連絡を缺けること、其の自家撞着の點をさへ含めることに氣附かざるを得ず。常識上の觀念は以て多くの生活上の實用を達するには足れりとするも未だ以て究理心の要求を充たしむるに足らず。吾人が思考力の發達しゆくや早晚常識上の漠然たる觀念を以て滿足せずこれを明瞭にしその自家撞着の點を除かざれば休まざるに至る、而してこの不滿足はます吾人をして自然界及び人間界に對する吾が思想を統一して整然たる智識を得むの念をつよからしむ。この念こそ哲學の硏究を進ましむる動力なれ。