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は隨意に自殺するを以て正當なりとし又之れを以て各人の貴重なる權となし吾人は存らへて他物に制せられむよりは寧ろ靜かに此の世を辭すべしと考へたり。此の心よりして此の派の開祖ヅェーノーンの如きクレアンテースの如きは自殺して死しきと傅へらる。中には意志の力を信ずることの厚き自ら我が氣息を止めて死せし人もありきといふ。ストア學徒はやゝ奇僻に陷り常道を外るゝ嫌ひありたれど兎に角當代の道德的生活に一大勢力を與へ一大活氣を添へたることに於いて其の功績の偉大なりしこと蔽ふ可からず。羅馬の名將、政治家、又明君と云はるゝ人々の此の學說を奉じたるもの少なからざりき。


第十八章 エピクーロス學派

《エピクーロスの生涯、人物、學徒。》〔一〕ストア學派と同時代の產物にして究竟する所同一の問題を解釋し同一なる時勢の需要に應ぜむとして出でしかも其の學相に於いてストア學派の正反對に立てる者をエピクーロス學派とす。此の學派を創めたるエピクーロス(Ἐπίκουρος)は亞典府人の子、西曆紀元前三百四十二(又は一)年サモス島に生まれ、後亞典府