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歸す。聖賢は凡べての德を具へ凡べての事に於いて宜しきを得行ふ所悉く道に合ひ圓滿の德を具足す。然れども人間の多數は愚人なり愚人は即ち不善人なり。

《ストア學派の世界主義。》〔一一〕ストア學徒は德の種類を揭げて之れを審かにすることを力めたり。其の中こゝに最も注意すべきは其の公共心を尊びしことなり。アリストテレース以後の希臘に於ける倫理思想の大勢は靡然として個人的傾向を帶び來たりたれど、ストア學派は他にまさりて尙ほ社會的方面を維持せるものなりき。故に彼等は國家に對する義務及び家族に於ける道德を重んじたり。此の點に於いてストア學派の道德說はキニク學徒の道德說と異なれり。後に、殊に羅馬のストア學徒が明らかに博愛の德を說くに至りて希臘の道德思想が一種の新光彩を放てるを看るべし。ストア學派はまた理性を遍通の法則と見たるが故に理性に從ふ者即ち賢人を以て民族、血統、人種等の區別を脫し一國家の臣民として生活する以上に同じく理性に從ふ人間といふ關係に於いて廣き圑體の一員として生活する段階に進める者と見たり。是れ所謂ストア學派の世界主義なり。之れを當世に於ける政治上の關係より見れば羅馬が凡べての人種を網羅して大帝國を建設せる偉大