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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/349

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ストア學派の道德を說くや一方に於いて意志の自由を主張するとともにまた天地萬物が皆宇宙の必然法によりて支配せらるゝことを說き此の二個の思想は十分に調和せず。然れども姑らく此の事を措きて考ふれば其の意志の力に重きを置きまた爲人に重きをおきたる所はストア學派の道德論に於いて注意すべき點なり。

《德不德の差別。》〔一〇〕德不德の根本差別は外形に現はれたる動作にあらずして爲人にあり、心根に在り。故に其の心根が道に合ひ理性に從へば德はおのづから行はれ、其の心根が道に合はざる時は一として德の具はるべき理なく其の人の行ふ所凡べて不德となる、故に德と不德との間には段階なし、一德眞に修まると云はれむには凡べての行爲の根本たる心根が理性に合せざるべからず、心根にして理性に合せむか、事に應じ物に應じ行ふ所凡べて德行として現はれ來たるべし。一の不德を爲すといふは其の心根が理性に合はざるを證するものにしてかくの如き心根よりする時は事每に不德なるべし。故に人間は有德なるか不德なるかの二つに分かれて其の中間を容れず。即ち人間には二種類ありて賢なるか愚なるかの二つに