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ぞ。曰はく、眞なる觀念の眞なることは其の觀念に伴へる直接の證明によりて知らる眞理はそれ自らの眞理なることを知らしめ他の證明を待たざること猶ほ光が他に照らさるゝを待たずして自ら明らかなるが如しと。然らばストアの學說に從へば眞妄の窮極の標準は畢竟吾人が主觀上自明なりと認むることに在りと云はざるべからず。
《ストアの物心一元論。》〔四〕ストア學派の知識論は其の大體の組立に於いては經驗說、感覺說なれども道德上の根本思想を說く時は多少理性論の趣を帶べる所あり。而して之れと共に其の物理論にも亦二つの方面あり、一面は物質論、他面は精神論是れなり。ストア學徒は一面に於いては凡べての事物は物質の必然的作用によりて生起すと見他面に於いては其の自然的に生起することが即ち理性の目的ある働きに外ならずと見たり。其の自然哲學に曰はく、凡べて實在するものは物體なり神と云ひ人間の靈魂といふも物體以外のものにあらず。然れども所謂物體に二面あり一面は物質にして一面は精神なり。盖しストア學徒は物質と精神の活動とを引き離して考へず物質其のものに精神の働きは具はると說けり。而して如何なる物質