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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/298

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なり。彼れが哲學の中心問題は個物と通性とを相離さずして實在の何たるかを解し、槪念的知識を以て吾人の感官上知覺する諸物を了解せむことにあり。彼れが論理學上の觀念は凡そ此の問題を目途として形づくられたり。又彼れは個物と通性との關係を上述の如くに解したるが故に其の謂ふ實體ウジアはおのづから二義を帶ぶることとなれり、或は個々物を指して謂ひ或は個々物と離れずして其の本性を形づくるものを指して謂ふ。

《實體と個性、相と素。》〔一四〕アリストテレースは其の所謂實體を以て事物の個性と相離れざるものとなせるのみならず、また之れを以て變化と離れざるものとしたり。換言すれば實體は一時に實現するものにあらずして漸次に實現さるゝものなり、是れ變化といひ生滅といふことの在る所以なり。此の事物の生ずるといふこと(γένεσις )を說かむが爲めアリストテレースはεἶδος 又は μορφή)とὕγη)との關係を說けり。以爲へらく相と素とは相離れたる二つの物にあらず唯だ素は相とならむとするものにしてその成り上がれるは即ち相なりと。アリストテレースが此の思想は有機體の生長又は人爲の製作物に準らへて得たるものなるが如し。一器物例へ