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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/297

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れを遍通不變のものと見做したるが如きものに外ならず。事物の本性と其れを本性とする其の事物とを相離すべき理由なし。之れを要するにプラトーンはイデアを個物界より全く離れたるものとなしたるがゆゑに竟にそを個物界に關係せしむること能はざるなりと。是れアリストテレースがプラトーンのイデア論を批評せる大趣意なり。是に於いて彼れはイデアを以て個々物を離れたる超絕體と見ずして個々物に內在するものと見たり。吾人の知識を成り立たしめむには通性の實在を說くを要すれども其が個物を離れたる實在を說くを要せず。個物界を離れて諸物の實體を求むべからざる也。

《實體とは何ぞ。》〔一三〕οὐσίαウジア 即ち實體といふ觀念はアリストテレースが純理哲學の骨髓を成せるものなり。彼れが見に從へば前述の如く此の實體は個々物以外に存在するものに非ず一種類のものの抽象的槪念を實體視するは非なり。然れども彼れは吾人の感官に現はるゝ個々事物の象其の儘を實體と視たるにはあらず。彼れが所謂實體は抽象的のものにもあらず、また唯だ感官上に存在するものにもあらず、個々物に於いて其の個性と相離れざる通性を發見する是れ即ち實體を發見する