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度及び附屬の二つを省けり。

此等範疇の論及び上に所謂學理的說明の最高原理とも見るべき素性及び相性の論に於いては旣にアリストテレースが純理哲學の中心に入れるなり。


純理哲學

《プラトーンのイデア論に對するアリストテレースの批評。》〔一二〕アリストテレースも亦ソークラテースの思想を繼ぎて事物の定相を看取するものは槪念的知識なり遍通不易の通性を知るにあらざれば眞に事物を知れりといふべからずと考へたり。此の點に於いて彼れはプラトーンと異なる所なし。或はプラトーンとアリストテレースとの立脚地を相分かちて恰も正反對を形づくれるが如く思ふ者あれどこは甚だしく誤れり。兩者が如何なる共同の見地を有するかは決して看るに難からず。然れどもプラトーンが個々物を離れたるイデアを眞實體とし、之れに對して個々物の世界を非有と見たる點に於いてはアリストテレースは全然其の師と意見を異にせり。是に於いて彼れはプラトーンのイデア論を批評して自家の特殊なる位置を占めたり。彼れがイデア論