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て二つの相異なれる潮流の出現せるを見る。一はスポイシッポスの取れる所、一はクセノクラテースの守れる所なり。前者はおもへらく、善美なるもの完全なるものを以て感官界即ち不完全なるものの生起する原因とは見るべからず、完全なるものは寧ろ不完全なるものの到達するによりて成就さるべき極致なり、即ち存在の順序より云へば不完全なるもの先きにして完全なるもの後に來たると。さればスポイシッポスはプラトーンの謂へる理想界と感官界との關係を進化說の立塲に在りて說明せむとしたるものと謂ふを得べし。而して之れに對して云へばクセノクラテースは發出說の立塲を取れるものの如く、完全なる「善」より始めて漸次階段をなして不完全なるものに降りゆくことを說けり、故に「萬有の靈」より降りて個々の物體の界に至るまで其の間に幾多の靈を置き、隨うて其の所說は頗る宗敎的彩色を帶び來たれり。スポイシッポスがとを以ての原素となしゝと共に又一切事物の根元と見做し且つ萬有の靈と(ピタゴラス學徒のいふ)中央火とを同一視したる、又クセノクラテースがヌウスと「一」とを同一視し「一」と不定なる二とより數出で而して其の數の取りも直さずイデアなることを說けるは、是れ兩者の共