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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/272

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蓋しプラトーンの所謂國家は希臘當年の國家にして決して今日謂ふが如き尨大なるものにあらず、一市府即ち國家なりしことを忘るべからず。

《其の美術論及び宗敎論。》〔三〇〕國家は尙ほ國民の依るべく用ゐるべき宗敎及び美術をも定めざるべからず。但しプラトーンは大なる價値を美術に置かざりき。以爲へらく、美術は摸倣に外ならず現象界の個々物を摸寫せるものなり。而して個々物はイデアの摸倣なるが故に美術は摸倣の摸倣なり。故に美術は事物の實相を去ること頗る遠きものなりと。例へば机の書圖は唯だ其の机を一方面より見たるさまを寫せるのみ、實の机を去ること遠し。美の本體はイデア界に在り、是れ理想美にして、吾人が現象界に見る所は唯だ其の覺束なき摸寫に過ぎず。斯くプラトーンは純理哲學上謂ふ所の事物の實相に照らして美術の價値を定めむとしたると共に又道德論の立脚地より考へたるが故に吾人の精神を高むるに力ある音樂を以て美術中の最も有用なるものとせり。

宗敎につきてはプラトーンの眼界に在りしものは希臘の國敎なり。以爲へらく第三階級に屬する農工商の敎育はおもに希臘在來の宗敎を以てすべしと。然れ