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《イデア論とピタゴラス派の數論と。》〔十六〕プラトーン晚年に及びては益〻ピタゴラス派の所說を入れイデアと此の派の所謂數との關係をしていよ親密ならしめたり。彼れは遂に此の派の所謂太一と彼れの謂へる善のイデアとを同一視し更に此の派の謂ふ奇偶即ち定不定の對峙と彼れの謂ふ有(イデア)非有の對峙とを同じきもののやうに說くに至れり。是に至りては彼れがイデア論は其の本來の面目を改めてピタゴラス派の數論に化せられたりといふも不可なし。

《イデアと現象界との關係。》〔十七〕プラトーンはイデアを實有としこれに對したるのもの(τὸ ἕτερος)を非有と名づけたれども其の非有も有に對して在るものと見ざる可からざるが故に畢竟ずるに彼れの說は二元論となれりと云ふ批評は免れざるべし。イデアは個々物の界に全くは實現されずと說けるはイデアの存在を妨ぐるもののイデア以外に存することを示し又イデアを以て個物界に現はれむとする活力あるものの如くに考へざる可からざることを示さずや。プラトーンはイデアそれ自身を活動力と見ず又そを原因と名づくるも畢竟目的といふ意味にての原因に外ならずと說けども、そが動カ的原因たるの方面を持ち來たらずして能く生滅界の存在