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すに止まるか、畢竟個々物の存在する理由は如何と云ふことなり。若し實有なるものがイデアのみならむには如何で其の外に個々物の界はあるぞ。假令實現すべき目的が理想界にあればとて之れを實現せむとする個物界は何故に存在するぞ。個物界存在の理由は上來の論を以ては未だ說き得たりといふべからず。是の故にプラトーンは實有なるイデアに對して非有(μή ὃν)を持ち來たれり。以爲へらく、個々物が唯だイデアの覺束なき影を寫すに止まるは非有に妨げらるればなり換言すれば個物界はイデア(有)と非有との結合によりて成れりと。
プラトーンがこゝにいはゆる非有の何なるかに就いては哲學史家其の解釋に困しむ。ツェラーは之れを解してエレア派の所謂非有即ち空間(虛空)を意味せるものとなせり。空間は是れ形なくしてしかも凡べての形を取り得るもの、物體が其の形を現はし得る處なり。プラトーンが『フィレーボス』に於いて二元說(即ち定限なき、從ひて形なきもの(ἄπειρον)と、これに形を與へて個々の形體を成さしむる者(πέρας)即ち數理的關係と)を說ける所は、まさしくピタゴラス派の說を取れるもの而してかく彼れの說が漸々ピタゴラス派の說に近づき來たれる所にては其の所謂非有