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るのみにして如實のものに非ず。イデアは原型(παραδειγμα)にして感覺界の個物はそが影像(εἴδωλον)なり。故に生滅界は實有の世界に對すれば非實有の世界なり、實物に對してはそれが影の如き世界なり、非實有の世界にして尙ほ幾多事物の相を現はすは唯だ其が覺束なくも多少イデアに與り(μετέχειν)居れるがゆゑなり。而して個々物の常に生滅流轉して極まりなきは其の恒久にイデアを宿さざるによる、イデアが或はそれに來たり或はそれを去るによる。イデア來たりて個々物に宿れば其の物よく其の事相を現はしイデア去りゆけばすなはち其の物其の相を沒す。斯くして個々物の界は無常なり。

《イデアは現象界の原因なり、目的なり。》〔十四〕かくの如く說かばイデアを以て現象界の原因(αιτία)と見做さざる可からず。然れども件の原因てふ意味はプラトーンに於いては目的(τέλος)と同一なり。惟へらく、個々物を生ずる原因は善美なる目的にあり。善美なる理想是れ即ち萬物の極致、此の極致是れ其の目的、此の目的是れ即ちイデアにして現象界の諸物は其の目的の故を以て生じ又滅する也。イデア其の物は活動變化の中に在らず常住不變の性を具ふれど唯だ其が善美なる目的たるの故を以て個々物の界に