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斯くの如くプラトーンのイデアに關する思想の變遷發達したることは明らかなる事實なり。其の當初イデアを論ずるや主として之れを論理的關係より見たりしが後には次第に目的上即ち價値上の關係より觀察することとなり其のイデア論は次第に理想論として形づくらるゝに至れり。以爲へらく實有なるものは理想なり善美なる理想これ即ちイデアなりと。是に於いてか彼れは善美ならぬ者の實體に於ける存在を承認せざるに至れり即ち前に論理的に考へたる事物の種類の槪念としてよりも寧ろ善美なる理想としてイデアを見るに至れり。ソークラテースの弟子として究極は道德的眼孔を以て世界を眺めたるプラトーンのイデア論が是に至りて理想論となれるは其の當さに行くべかりし處へゆけるものと謂ふべし。

《イデアと個々物との關係。》〔十三〕尙ほ他にプラトーンのイデア論をして益〻理想論又目的論の性質を露はさしめたるは其の論に於いて最も說明を要する點なるイデアと個々物と即ち實體界と生滅界との關係なり。プラトーン以爲へらく、個々物即ち生滅界は全くイデアを含むものに非ずして唯だイデアの摸倣(μίμησις)なり、唯だイデアに似よれ