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哲學の起こる吾人に此のエロースあるに基づけり。
《イデア論つづき。》〔十二〕プラトーンがイデア論の要は上に述べたるが如し。更に進みて幾何のイデアありて同列上下の關係をなせるかは彼れ自らもこれを詳說せず。思ふに委細に之れを考へむとせば大なる困難に會はざるを得ざるべし。第一にすべて普通名詞を下し得るところには皆イデアあるか否かの難問に接せざるべからず。一切の事物、善惡、高下、美醜の如何に拘らず、又事物の關係、性質等抽象的槪念に至るまでも悉皆それのイデアありや否や。プラトーン初めは凡べて普通名詞を用ゐ得る所には悉くイデアありと考へたりしが如し。之れを例せば糞土には糞土のイデアあり、大小の關係には大小といふイデアあり、醜惡の性質には醜惡といふイデアありと考へたりしが如し。されど後には唯だ價値あるもの即ち善美なるもの及び定相ある自然物及び數理的關係(例へば一二の如き)にのみイデアの存在を許したり(『シムポジオン』『ファイドーン』『ティマイオス』等)。またアリストテレースの言によればプラトーンは晚年に至りては人間の製作物及び否定缺乏を意味するもの及び事物の關係にはイデアを承認せざりきとぞ。