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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/248

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唯だ心底に潜めるなり、個々物を見るの要は此の忘られて潜み居るイデアの知識を再び思ひ起こす(ἀνάμνησις)の緣を供するに在りと。故にプラトーンに從へば吾人が眞知識を得るは未だ曾て吾人の具へざりし者を得るに非ずして曾て知れるものを再び思ひ起こすなり。さきにソークラテースが人を敎ふるに當たりて、他に新らしき知識を注ぎ入るゝにあらず他をして自ら知識を產み出ださしむる手傅ひを爲すのみなりと云へる其の產婆術がプラトーンに於いて如何に變形して幽玄なる思想となれるかを見よ。

プラトーン以爲へらく、上述の如く吾人が本然の性は、もとイデアを知らざるにあらずしてただ、今これを忘れたるに過ぎざるが故に吾人の心性には何となくイデアを思ひ起こさむとカむる傾向即ちイデアを慕ひ求むる心あり。凡そ善美なるものを愛慕する心の吾が心性に存するは此のゆゑなりと。是れプラトーンの有名なるエロース(ἔρως 戀愛)論なり。吾人が件のイデアを慕ひ求むる心は下等の狀態に於いては形體美を愛する心(即ち俗に謂ふ戀愛)として現はるれど其の最も高尙なる段階に進めば是れ即ち眞、善、美そのものを觀むと欲する哲學硏究の心なり。