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《イデア論つづき。》〔十二〕打ち見たる所プラトーンが謂ふイデアの相互の關係は論理學者の所謂外延と內包とに於いて槪念が互に廣狹上下を爲す關係の如く上り行くに從ひて外延の廣くなる代はりに內包の貧しくなるが如く思はるれど是れ決して彼れの眞意にあらず。彼れの所謂槪念は分析抽象の結果ならずして寧ろ事物の眞性實相を直觀したるものなり。故に其のイデアの階級を上り行くに從ひて其の內容の貧しくならざるのみか却て益〻深く事物の眞相に分け入り却りて益〻多くの事物を成り立たしむる其の實性に到達するなり。生滅界の個々物は唯だイデアに與る所あるによりて僅かに其の事相、其の存在を有するもの、イデアの全體を宿せるものにあらず。されば個々物は唯だイデアの影を示すことによりてイデア其の物を吾人の心に思ひ浮かべしむる緣となるのみ。語を換へて之れを言へば個々物は依りて以てイデアを知るべき充分なる原因にあらずして唯だ心理的動機となるのみ。イデアを知るべき知識の眞因は尙ほ之れを他處に求めざるべからず。プラトーン以爲へらく、吾人の心性はイデアの知識を本具せるものなり、イデアを知る知識は本來吾人の心性に具はれるものなれども今は忘られていはば