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とは敢て看るに難からず。プラトーンの思想は寧ろ時代と共に變化し而して其の著述は其の時期々々の學相を示せるものと見るが至當ならむ。然れども又或史家の如く彼れの學說を以て單に時々に思ひ浮かべたる思想を連絡もなく述べ出でたるものに過ぎずとなし更に組織的關係の見るべきなしと云はむも妥當の言にあらじ。プラトーンの思想に變遷發達のありしは明らかなれど其の間おのづから連絡ありて大體上一組織を成せることも亦强ひて否むべきにはあらざらむ。彼れが第一期の著作と見るべきは其の尙ほソークラテースの敎學の範圍內に在りし時の作にして述ぶる所槪ね其の師の說きし種々の德行(勇氣、友愛等)を題目としてそれらの觀念を明らかにせむと試みたるものなり。此等の中或はソークラテースの尙ほ世に在りしころ已にものせるものもあらむか。『リシス』、『ラケース』、『小ヒッピアス』等は此の第一期に屬せるものならむ。また『アポロギア』、『クリトーン』、『オイティフロン』は皆ソークラテースの爲めに辯護せるものにして要するに其の師を如實に世に傳へむとしたるものなれども其が著述の年代は後の期に屬するならむ。

プラトーンが第二期の作として見るべきは當時隆盛を極めたると共に又弊害を