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キレネ學派

《倫理上の個人的快樂說。》〔一〇〕此の派の祖アリスティッポスは其の思想をソークラテースが道德論中幸福をいへる方面に結びつけこれを以て其が學說の出立點となしたり。キニク學徒は吾人が幸福を得るには德行其の物の外に要する所あらずと說きたれども其の所謂德行の內容を示さむとしては專ら消極的方面より云ふに止まりたり。アリスティッポスは思へらく、ソークラテースの說ける如く德行と幸福とは相離るゝものにあらずそは德行は幸福を得るの道に外ならねばなり而して謂ふところ幸福は快樂を得るの謂ひに外ならずと。即ち彼れは德行を以て快樂を得る方便に外ならずと視たり。ソークラテースが明らかに內容を定めざりし(吾人に取りてよきもの)てふ觀念はキニク及びキレーネの兩派に於いてしかく兩端に分かれたり、而も兩者共に幸福を云ふに於いては一なり。

アリスティッポスの所說に從へば德行その物に何等の價値あるにあらず其の價値あるは唯だそれが吾人各自に快樂を與ふるの道となればなり。如何にして快樂