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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/216

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と思はる。キレーネ學派はキレーネの人アリスティッポス(Ἀρίστιππος)の立てし所、彼れ亦しばらくソークラテースに接したることあれど決して親密なる關係を維持したりしにあらず、前の二人よりは年少なりしが如し。アリスティッポスはソフィストとして諸方を遍歷し、アンティステネースはソークラテースに師事せし前旣にゴルギアスに聞き又自ら講筵を開きしことあり又メガラ學徒の論法の多くソフィストのと簡ぶ所なかりしは後に陳ぶる所を以て知るべし、此等の故を以て史家或は此三者を視て元來ソフィストの流を汲める者が唯だ少しくソークラテースの學風に觸れたるに過ぎずとなす。以上三派の外ソークラテースの弟子ファイドーン(Φαίδων)が其の故鄕エーリスに立てたる一派及び此の派の流がメネデーモス(Μενέδημος 紀元前三百五十二年乃至二百七十八年頃の人)によりてエレトリアに傅へられたる一派ありと傅ふれど、これに關しては委しき事を知る能はず、但し此の「エーリス」「エレトリア」の二學派は元とはメガラ學派に似寄りたるものの如く而して後にはキニク學派に近づきたりしが如し。今は先づメガラ學派より記述せむ。