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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/215

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の或方面(主として倫理道德上の問題)を取りて更に之れを考究せむと力めたる者あり。慣用の名稱に傚ひ此等の學者をこゝに假りにソークラテース學徒と名づく。然れどもソークラテースの趣意が必ずしも彼等の所說に保存され又開發されたるにあらず、却つて大に彼れの敎學と異なれる趣を呈せるものあるを認めざるべからず。また彼等は專らソークラテースが敎學の一方面にのみ著眼して其の問題の全體と根柢とを看取せざりしが故に前にも云へる如く此等の學者を「不完全なるソークラテース學徒」とも名づく。彼等の中に就き哲學史上其の學說の傅はれるもの三あり。メガラ學派、キニク學派、及びキレーネ學派是れなり。メガラ學派はソークラテースの敎を受け深く彼れを尊敬せるオイクライデース(Εὐκλείδης)が其の師の死後幾ばくもなく其の故鄕なるメガラに開きたりしところのもの、キニク學派は同じくソークラテースに接したるアンティステネース(Ἀντισθένης)の創立せる所なり。〈キニクといふ名稱の起原に就さては此の派の學者が犬の如き生活をなして意とせざりしより起こりしものにしてギリシア語の犬てふ字より轉じ來たれりといふ說古くより傳はれり。然れども恐らくは敎祖アンティステネースが亞典府のキノサルゲスと云ふギムナジオン(體操遊戯などするために諸人の集合する所)にて其の敎を說きたるに由來せりといふ說正しからむか。〉此の二人は共にソークラテース門下の年長者なりき