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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/198

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悉せりと思ひ而して斯かる事柄の穿鑿に力を勞するか又若し全く人事を措いて天上の事に思ひ耽れるならば是れを以て彼等自らにふさはしき業と思へるかと言へりと。ソークラテースの眼界はソフィスト等の或者よりも尙ほ一層人事硏究的なれりと謂ひつべし。

《ソークラテースの生涯、人物、性行、事業、傳記。》〔二〕紀元前四百六十九年(又は四百七十年)ソークラテースは亞典に生まる。父をソーフロニコスといひ彫刻を業とせり、母をファイナレテーと呼び產婆を業とせり。彼れが幼時の敎育につきては今多く知られず、當時世間の注意を惹きたるソフィスト等に聽きしことあるは疑ふべからず。初めは父の業を繼ぎて彫刻を事としたりしが後悟る所ありて其の業を棄て一身を擧げて精神的事業に於いて當時の社會に盡くす所あらむと志したり。彼れは十分新時代の精神を吸收し其の需用を看破せり、然れどもソフィスト等の敎ふる所に慊らず却つて彼等が輕薄に流れひたすら詭辯を弄するを見て慨する所あり、一面彼等が影響を受けながら尙ほそが辯論に眩せられず更に確實なる硏究に從事せむと欲したり。即ち彼れは人事に關する硏究幷びに批評の抑ふべからざるを看、唯だ漠然たる傳說と習慣とに