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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/197

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詭辯を弄して自ら喜びたる也。こはゴルギアスが「何物もあるなし」と言ひし口吻に徵しても知らるべし。即ち彼等は旣に確實不動の知識を疑ひ、半ば遊戯三昧に學問を弄したるの觀ありき。ソークラテースは此の輕佻なるソフィスト風に反して立ち同じく彼等が武器となして用ゐたりし辯論を用ゐて更に確實なる硏究の途に上らむとせり。

彼れが考究の主眼となしゝ所は吾人の智識と道德との事にあり。尙ほくはしく言へば彼れは道德問題を中心としてこれがために新しく吾人の智識の如何なるものなるかを考へむとしたる也。彼れは即ち人事硏究時代の一人なり。物界硏究期にありては會〻論ぜらるゝことありても硏究の附屬物に過ぎざりし智識及び道德の事は此の時代にはむしろ殆んど全眼界を蔽ふに至れり。其の弟子クセノフォーン(Ξενοφῶν)はソークラテースの性行を記して曰へり、彼れは他の多くの哲學者の論じ爭ひしが如く世界の如何にして生じたるか、如何なる永恒の法則に從うて天に於ける諸〻の事の成さるゝかを思索せず、却つてかゝる思索の事柄を擇べる人々の愚なることを示さむと力め常に先づ彼等に問うて彼等は旣に十分人事を知