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の個々の願望欲求に求めたり。されば其の極つひに權力ある者勢力ある者はその好む所欲する所に從うて何をなすも可なりといふ如き暴論を唱へたり。プラトーンはその『對話篇』に凡べての權力は强者の權力なることをカルリクレース(Καλλικλῆς)の主唱せる所となし又トラシマコス(Θρασύμαχος)をして法律は原と有力者が自己の利益の爲めに設けたるものに外ならずと言はしめたり。此くの如くソフィストの末流は破壞に走り貴族の特權等を否認するのみならず凡べての古來の風儀及び傳說の尊貴を疑ひ之れを動搖せしめたり。而して此の破壞論は宗敎上にも及び、信神の起原を自然的に說明するに至りぬ。プロディコス已に人の拜する神々は元と天體、地水、火風又は地の產物など凡べて人間に利益あるものを喩へて神體となしたるに過ぎずと云へり。メーロス人ディアゴラス(Διαγόρας)の如きは遂に赤裸々の無神論を唱へ出でたり、其の故を以て彼れは亞典府を逐はれき。
《ソフィストは希臘思想の變動期を代表す。》〔十〕此くの如くソフィストの末流は希臘に於ける當時の社會運動の破壞的方面を代表せり。其の末流が斯くの如き輕薄亂暴に流れたるは一は當時の社會內部の反映なり。葢し當時の亞典府は已に其の政治上の最も光榮ある時代を經過