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破壞狼藉を事とせり。彼等は自然即ち天則(φύσις)と法律即ち人則(νόμος)とを相對せしめ(ヒッピアス旣にこれを相分かてり)天則とは隨時隨處に異ならず諸多の事物に通じて不變なるものをいひ(物界硏究時代の學者が物界に於いて求めたるもの即ち是れ、ソフィストはこの觀念を人事に應用し來たりし也)人則とは人爲の法則にして變易するもの即ち風俗、習慣、制度等を指す。人則は隨時隨處に異なれば萬古不動の價値を有するものにあらず、畢竟時人の便利に從うて定めたるものにして其の便利を缺く時には隨意に之れを打破するも可なり。之れを實際に徵するも所謂社會の風儀又習慣は多く變遷推移し來たれり。ソフィスト等はかく古來の習慣風俗の根據を考ふるに隨うて其の決して變はらざる者にあらざるを看又從うて其の効力を疑ひこれらは所詮其の時々の便宜もしは好尙に從うて作り出でられしもの、いつまでも之れを株守せむは愚なり須らく適意に之れを變更し破壞すべしと思惟するに至れり。而して彼等が人間を見るや主として個々人の好む所又個々人の便利とする所の方面に於いてせり。恰もその知識論に於いて個人の一時々々の感覺を基礎となしゝ如く實際上にも吾人の行爲の動機を專ら各人