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むよし無ければ也。此の故に我が知る所を如實に他人に傅へむは到底不可能事なり。

プロータゴラスの說は或史家のいふが如くヘーラクライトスの無常流轉の說を用ゐたるもの也とは謂はれずともゴルギアスが上述の破壞論を唱ふるにエレア學說(ヅェーノーンの辯證法)を借り來たれることは明白なり。

《ソフィストと詭辨家。》〔八〕旣にゴルギアスの說に見ゆる如くソフィスト等の論はます詭辯に流れつひには凡べての事につき凡べての事を立言し得といひ又吾人は決して誤り得ず又我れみづからと矛盾することなしなどいふが如き論の出づるに至りぬ。(これオイティデーモス等の揚言せる所なりき)。彼等は一事物を激賞せる即座に又能く之れを排斥し得とてこれを誇れり。かるが故に初めは惡しき意味を帶ばざりしソフィストと云ふ名稱は後世詭辯家といふと異語同義なるが如くに思惟さるゝに至れり。しかもこはプロータゴラスが知識論の自然の結果といはざる可からず。

《ソフィスト末期の破壞的傾向。》〔九〕啻に理論上に於いてのみならず實際上にもソフィストの末流はます