Page:Onishihakushizenshu03.djvu/187

提供:Wikisource
このページは校正済みです

的に廣く蒐むるに止まりて甚だ雜駁に流れ隨うて其の自然の結果として一學說に重きを置き之れを固信する心は彼等に於いて甚だしく衰へゆけり。物理硏究の結果として出でたる考說已に紛然、多岐亡羊の歎なきを得ず且つ當時の思想界は物理の硏究まさに一段落をなして復た新學說の出づるなきの時に際したれば彼等は在來の物理說に對してはやう懷疑的傾向を生じ來たり而して此の傾向次第に增進して後には習慣、法律、宗敎等社會實際の事にまで波及するに至れり。これ即ちソフィスト等によりて起こされたる新運動が當時の希臘社會に大影響を及ぼしゝ所以なり。殊に彼等の末流に及びては只管破壞を事とし其の說くところ亂暴狼藉を極むるに至りき。されど彼等は初めより然りしにはあらざる也。

《ソフィストの代表者。》〔五〕ソフィストの中最も有名なるものを擧ぐればプロータゴラス(Πρωταγόρας)ゴルギアス(Γοργίας)又少しく後れてはヒッピアス(Ἱππίας)プロディコス(Πρόδικος)等あり。ヒッピアスは博識を以て聞こえ、數學、天文、物理、歷史、及び技藝をも敎へ學術を通俗ならしむる傾向を代表せる顯著なる一人なり。プロディコスは道德上の事を論じたりと傳へらる。されどソフィスト等が起こしゝ當時の新思想新傾向の代表