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者として最も肝要なるはプロータゴラスにして次ぎはゴルギアスなり。

《プロータゴラスの主觀的、相對的知識論。》〔六〕智識論上懷疑說を唱へ出でて希臘哲學史に一要地を占むるものをソフィストの泰斗プロータゴラスとなす。彼れはアブデラの人紀元前四百八十年に生まる。諸方を遍歷し到る處に名聲を博し遂に亞典府に來たりこゝに帷を下して敎授を事とせり。然るに間もなく神々の存在を否みたりとの理由を以て訴へられ此の地を去らざるを得ざるに至れり、時に四百十一年なり。シヽリーに渡らむとして途中難船の爲めに溺死せり。

彼れが知識論の根據は「人は萬事の度量なり」といふ其の有名なる語によりて表示せらる。其が智識論の主觀的又相對的なるはいとよく此の語に見えたり。謂へらく、吾人が外物を知覺すといふは唯だ外物が吾人の五官に觸れたる其の時の狀態に外ならず、物それ自身を知ること能はず。吾人の感官の狀態若し變ずれば知覺はた變ぜざるべからず。所詮智識てふ者は外物が吾人の感官に影響する其の時の關係に存し、萬古不易の眞理といふ如き者ある可からず。吾人の感官に見えたるの樣これ即ち凡べての知識にして此れ以外に知識なし。故に人を異にし塲合