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ース(Σοφιστής)といふは學者又は智識ある人と謂はむほどの義なり。彼等は希臘の市府を遍歷して諸般の智識を人に與ふるを以て其の職業となせり。而して其の活動の中心は亞典府なりき。さればソフィストといひても決して一種の學說を傅へ一流の學派を立てたりしにはあらで寧ろ種々樣々なる事柄を敎授し中には技藝などを敎へたるものもありき。而して彼等は其の敎ふる所に對して報酬を求めたりしかば學問を授くることが彼等に於いて一の職業となりし也。〈從來希臘學者が單に其の好奇心に驅られて學理を考究せしとは大に其の趣を異にせるを見るべし、これ倂しながら社會需用の自然の結果なりといふべし。〉

《ソフィストと人事の硏究。》〔三〕ソフィスト等は槪ね物理に關して何等の新硏究をもなしゝにあらず寧ろ從來の學說の結果を實際に應用せむとしたりしかば彼等が一般の傾向はおのづから唯だ種々なる知識を集め之れを折衷補綴することにありき。唯だ彼等はこれらの智識を實用して處世立身の道を敎へ、殊に政治社會に立つ者に取りて必要なる人心收攬の道を講ぜむとしたりしより益〻其の眼を人間の事社會の事に注ぎ來たり、かくして人事の硏究は彼等の、又一般此の時代の特色となれりし也。

《ソフィストの懷疑論的傾向。》〔四〕此くの如くソフィスト等が學術を敎ふるや槪ね從來の硏究の結果を折衷