Page:Onishihakushizenshu03.djvu/175

提供:Wikisource
このページは校正済みです

のヌウス說とを攝合したるものに外ならず。彼れはイオニア學派に從うて萬物の太原を活動する物質と見、特にアナクシメネースに從うて之れを空氣と見たり。而して又アナクサゴーラスに從うて之れを智慮あるものと見たり。其の理由とせし所は、アナクサゴーラスの唱へし如く、智慮なきものの所爲としては天地萬物の秩序の成りし所以を解し得ずといふにあり。彼れはエムペドクレース等の多元說に反對して曰はく、諸物若し其の本體に於いて一物ならずば其の相互の混淆又その一より他に移る變化又その一より他に及ぼす影響の出來べき所以を解すべからずと。萬物の太原は其の都べてに貫通して之れを活動せしむるものならざる可からず、而してこれは空氣に外ならず。空氣は際限なく廣がりて其の存在せざる處なく又(アナクサゴーラスがヌウスに就いていひし如く)諸物の最も精微なるもの最も稀薄なるもの、此の故に又最も自ら活動し易くして他の一切の活動の本原となるもの也。

ディオゲネースの學說中最も記憶さるべきは生物及び生理の論なり。靈魂は乾燥せる空氣にして其の幾分は母の胎內に宿れる種子より來たり又幾分は生まれ出