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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/167

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る可からず。純然たる機械的說明を用ゐて之れを固守する是れ其の最も特色とする所、又是れ近世の科學が凡べて物體の性質上の差別を其の分量上の差別に歸せむとする傾向をば希臘の古代に於いて旣に頗る明瞭に發表せるもの也。此のアトム論は純然たる機械的說明を取ると共に所謂唯物論となりて實に近世の唯物的元子論の最古の模範又其の淵源と見らるべきものなり。且つデーモクリトスの說く所は諸種の學科を網羅して燦然たる一大學說を爲せれば希臘初代の物理的哲學はこゝに其の光輝ある頂上に達せりと謂ひつべし。そもアトム論者は性質上無差別なる、ただ空間を塡充する個々物の機械的運動(集散離合)を以て諸〻の性質上の差別の生起する所以を說明せむとす。但しアトムそれ自身に於いて全く差別なきにあらず、然れどもこれは唯だ形狀(又大さ)の差別に過ぎず、詮ずれば空間を塞充する分量に於いての差別に外ならず。物體の輕重といひ硬軟といひ皆要するにそのアトムの量と配置とに歸するを得べし。是れアトム論者の立脚地よりして爲し得る限り性質上の差別を單一なる(卽ち唯だ空間を充たすことに於けるの)差別に歸したるものなり。然れども形狀を異にする而も其の性體に於いて